ポストに、一通の封筒が入っていた。
差出人は、高校の同級生の名前。表には「卒業30周年記念同窓会のご案内」と印刷されていた。
それを見た瞬間の俺:
「おお、同窓会か」
「30年…もうそんなに経つのか」
→ ここまでは普通だった
その後の俺:
封筒を持ったまま、しばらく固まる
なぜか、すぐに開けられない
とりあえずテーブルに置く
3日間、置きっぱなしにする
→ 自分でも驚いた
俺は同窓会の案内から
目を逸らしていた
懐かしいはずなのに、嬉しいはずなのに、最初に来た感情は「気の重さ」だった。
なんでだ?
この記事では、48歳の俺が同窓会の案内を前に固まった理由と、迷った末に出した結論について書く。同じように案内状を前に固まってるオッサン共に届けばいい。
同窓会の案内に、心がざわつく理由
3日間放置した封筒を、ようやく開けた。
案内状の中身:
・卒業30周年記念同窓会
・日時:秋の土曜日
・場所:地元のホテル
・恩師も数名参加予定
・「皆さんの元気な姿を
お待ちしています」
→ 内容はごく普通の案内だった
→ なのに、読み終わって
またため息が出た
行きたくないわけじゃない。でも「行きたい」と即答もできない。
この中途半端な気持ちの正体を、ベランダでビールを飲みながら考えた。
浮かんできた感情:
・懐かしさ:確かにある
・会いたい奴:何人かいる
・でも、それを上回る「何か」が
俺を止めている
→ その「何か」を
ちゃんと見てみることにした
40代の同窓会には、20代の頃にはなかった「重さ」がある。
「同級生と会うのが怖い」の正体
考えて、ようやく言葉になった。
俺は、同級生と会うことで、自分の人生の「答え合わせ」をされるのが怖いんだ。
30年ぶりに会う同級生たち:
・起業して成功した奴がいるらしい
・大手企業の役員になった奴もいるらしい
・医者になった奴、弁護士になった奴
・地元で家業を継いで社長になった奴
→ 風の噂やSNSで
「成功した同級生」の情報だけは
なぜか耳に入ってくる
それに対して、俺はどうか。
48歳の俺:
・製造業の中間管理職
・部長にはなれていない
・年下の上司ができた
・住宅ローンは残っている
・特別な肩書も実績もない
→ 「普通のオッサン」だ
別に、自分の人生を恥じてるわけじゃない。家族がいて、仕事があって、ローンを払いながらちゃんと生きてる。それは立派なことのはずだ。
でも、同窓会という場に置かれた瞬間、無意識に「比較」が始まる気がして、それが怖かった。
18歳の頃、俺たちは横一線だった
同じ制服、同じ教室、同じ授業
30年後の同窓会は
その「横一線」が
どれだけバラけたかを
見せつけられる場になる
→ これが「答え合わせ」の正体
→ 怖いのは同級生じゃなく
自分の現在地を直視すること
48歳の同窓会は、20代の同窓会と違う
実は、20代の頃にも同窓会はあった。あの頃は何も考えず参加して、普通に楽しかった。
何が変わったのか。
20代の同窓会:
・みんなまだ「途中」だった
・「今こんな仕事してる」
・「結婚するかも」
・全部が未確定で、未来の話だった
→ 比較しても意味がなかった
→ 全員、これからだったから
48歳の同窓会:
・人生の「中間結果」が出ている
・キャリアはほぼ固まった
・年収も、役職も、家庭も
・逆転の可能性は小さくなった
→ 「これから」じゃなく
「これまで」を持ち寄る場になる
これが、48歳の同窓会の重さの正体だと思う。
20代は夢を語り合えた。48歳は、結果を持ち寄ることになる。
さらに気づいたこと:
ミッドライフクライシスの渦中にいる
40代後半にとって
同窓会は「人生の棚卸し」を
強制的にやらされる場でもある
「俺の人生、これでよかったのか」
普段から抱えているこの問いを
同級生という「鏡」の前で
突きつけられる
だから、封筒を開けられなかったんだ。
行きたくない気持ちを分解してみた
モヤモヤしたままなのも嫌なので、「行きたくない理由」を紙に書き出してみた。
① 比較されるのが嫌
出世・年収・家庭・見た目
無意識の比較戦争に
参加させられる気がする
→ でも冷静に考えると
他人は俺にそこまで興味がない
比較してるのは俺自身だ
② 話すことがない気がする
30年分の空白
共通の話題は「昔話」しかない
2時間も持つのか?
→ でも、昔話ができる相手は
同級生しかいないとも言える
③ 昔の自分と今の自分のギャップ
高校時代の俺は
それなりに目立つ存在だった(つもり)
今の俺は
腹が出て、髪が薄くなりかけた
普通のオッサンだ
「老けたな」と思われるのが嫌だ
→ でも、向こうも同じだけ
歳を取ってるんだよな
④ 単純に面倒くさい
週末を潰して
気を遣う場に行く体力があるか
→ これは正当な理由に見えて
実は①〜③の言い訳かもしれない
書き出して分かった。行きたくない理由は、全部「自分の中」にあった。
同級生の誰かに嫌な奴がいるわけでもない。場所が遠いわけでもない。俺が、俺自身の現在地と向き合いたくないだけだった。
それでも、行くことにした理由
1週間悩んで、出欠ハガキの「出席」に丸をつけた。
決め手はいくつかある。
① 「行かない後悔」の方が重いと思った
行って気まずかったら
2時間我慢すればいい
それだけの話だ
行かなかったら
「行けばよかったかな」を
ずっと引きずる気がした
→ 行った後悔は一晩で消える
行かなかった後悔は長く残る
② 案内状の名簿に、亡くなった同級生がいた
案内状に同封されていた名簿
何人かの名前に
「物故」の文字があった
48歳
もう、そういう歳なんだ
「また今度」が
通用しない年齢に
入り始めている
→ 会えるうちに
会っておくべきだと思った
③ 「答え合わせ」から逃げない方がいいと思った
同窓会が怖いのは
自分の現在地を直視するからだ
でも、逆に考えれば
これは強制的に
人生の棚卸しができる機会でもある
ミッドライフクライシスの最中の俺に
必要なのは
逃げることじゃなく
向き合うことかもしれない
そう決めて、ハガキをポストに投函した。
正式な開催は秋だ。行ってきたら、その話もこのブログに書こうと思う。
一番きつかったのは、行きたくない理由が全部「自分の問題」だったこと
今回、案内状一通でここまで考え込むとは思わなかった。
一番きつかったのは何だったか。
同窓会そのものじゃない
出欠の判断でもない
「行きたくない理由」を書き出したら
全部、自分自身の問題だったこと
・比較を恐れているのは俺
・ギャップを気にしているのは俺
・現在地を直視できないのは俺
→ 同級生は誰も悪くない
→ 敵は全部、俺の中にいた
そして、これはたぶん同窓会だけの話じゃない。
40代後半になって
何かを避けたくなるとき
その理由はだいたい
外側じゃなく
自分の内側にある
「今の自分」に
自信が持てないから
昔の自分を知る人に
会いたくない
→ つまり問題は同窓会じゃなく
「今の自分をどう受け入れるか」
だった
48歳、製造業の中間管理職。特別な実績はないが、家族を養い、ローンを払い、親のことも考えながら、ちゃんと生きてる。
それを「普通のオッサン」と卑下するか、「30年間走り続けてきた男」と認めるか。
同窓会までに、後者で胸を張れるようになっておきたい。
秋になったら、また報告する。
まとめ
- 卒業30周年の同窓会案内が届いて、3日間封を開けられなかった
- 怖いのは同級生じゃなく、人生の「答え合わせ」をすること
- 20代の同窓会は夢を語る場、48歳の同窓会は結果を持ち寄る場
- 行きたくない理由を書き出したら、全部「自分の中」にあった
- 行った後悔は一晩で消えるが、行かなかった後悔は長く残る
- 名簿の「物故」の文字。「また今度」が通用しない年齢になっている
- 同窓会は強制的に人生の棚卸しができる機会でもある
- 問題は同窓会ではなく「今の自分をどう受け入れるか」
- 出席に丸をつけて投函した。秋に行ってきたらまた書く
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