3連休の中日、午後2時。
俺はリビングのソファに座って、特に見たくもないテレビをぼんやり眺めていた。
家の中は静かだ。でも、誰もいないわけじゃない。
今、この家にいる人:
・俺 → リビングでテレビ
・妻 → 寝室で昼寝
・息子 → 自室でスマホかゲーム
→ 家族全員、家にいる
→ なのに、それぞれ別の部屋
→ リビングには、俺一人
ふと思った。連休なのに、家族がそれぞれ、バラバラに過ごしている。
同じ屋根の下にいるのに、一人でいるような、この感覚。いつからこうなったんだろう。
この記事では、48歳の俺が3連休の中日に感じた「家族がバラバラになった寂しさ」と、それにどう向き合うかについて書く。同じ静かなリビングにいるオッサン共に届けばいい。
連休の中日、家族がそれぞれの部屋にいる
改めて、我が家の「なかび」の風景を見てみる。
午前中:
・俺は寝坊してリビングでコーヒー
・妻は買い物に出かけた
・息子は昼まで寝ていた
午後:
・妻は疲れて昼寝
・息子は部屋にこもってスマホ
・俺はリビングで一人
夜:
・それぞれのタイミングで夕食
・食べ終わったら、また各自の空間へ
→ 「一緒に過ごす時間」が
ほとんどない
昔の連休は、こうじゃなかった気がする。
息子が小さい頃の連休:
・一緒に公園に行った
・家族でドライブした
・みんなでテレビを見て笑った
・川の字で昼寝した
→ 家族は「一緒にいる」のが
当たり前だった
それが、いつの間にか「それぞれの時間を過ごす」に変わっていた。
いつから家族は「別々」になったのか
ソファの上で、いつからこうなったのか考えてみた。
変化のきっかけ:
① 息子の成長
・小学校高学年から友達優先に
・中学で部活・スマホ
・高校で完全に自分の世界
② 思春期の到来
・親と一緒が「恥ずかしい」年頃
・会話が減った
・部屋にこもるように
③ 妻も自分の時間を持つように
・子育てが一段落
・友達との付き合い
・自分の趣味の時間
→ 全部、自然な変化だった
誰かが悪いわけじゃない。むしろ、家族それぞれが自立して、自分の世界を持つようになった証拠だ。
頭では分かっている:
・息子が親離れするのは健全
・妻が自分の時間を持つのは当然
・俺だって一人の時間は欲しい
→ これは「成長」であって
「崩壊」じゃない
でも、頭で分かっていても、中日のリビングに一人でいると、なんとも言えない寂しさが押し寄せてくる。
これは寂しいことなのか、健全なことなのか
この寂しさの正体を、もう少し考えてみた。
二つの見方ができる:
【健全という見方】
・家族それぞれが自立している
・お互いの時間を尊重している
・依存し合っていない
・成熟した家族の形
【寂しいという見方】
・家族の一体感が薄れた
・共有する時間が減った
・「家族」より「同居人」に近い
・かつての温かさがない
どちらも正しい。
たぶん、家族には
「濃い時期」と「薄い時期」がある
子供が小さい頃:濃い
思春期〜自立期:薄くなる
子供が巣立った後:また変わる
→ 今は「薄い時期」なんだ
→ それ自体は悪くない
そう考えると、少し気が楽になる。今のバラバラは、家族が壊れたんじゃなく、それぞれが育った結果なんだ。
でも、それでも、俺は少しだけ寂しい。この気持ちに嘘はつけない。
「一緒にいたい」と言えない父親のジレンマ
ここが、今回一番書きたかったところだ。
俺は、本当はもっと家族と一緒に過ごしたい。でも、それを言えない。
言えない理由:
・「一緒にいよう」と言うと
押し付けになる
・思春期の息子に
「うざい」と思われたくない
・妻の休息時間を
邪魔したくない
・そもそも
「寂しい」と言うのが
父親として情けない気がする
→ 結局、何も言えず
一人でテレビを見ている
父親という立場は、なかなか厄介だ。
母親なら
「一緒にご飯作ろう」とか
自然に family を巻き込める
でも父親は
「一緒に何かしよう」の
きっかけを作るのが下手だ
→ 特に、思春期の息子とは
どう距離を縮めればいいか
分からない
「一緒にいたい」。たったこれだけのことが、48歳の父親には、なかなか言い出せない。
中日だからこそ、できること
寂しがってるだけじゃ何も変わらない。中日の午後、俺なりにできることを考えた。
① 無理に集めず、さりげなく誘う
「集まれ」は逆効果
代わりに、さりげなく:
「アイス買ってきたけど食べる?」
「これ、ちょっと見てみ、面白いぞ」
「昼飯、うまいもん食いに行くか?」
→ 命令じゃなく、お誘い
→ 断られてもいい
→ ハードルを下げて声をかける
② 「一緒にいる時間」を予定に入れる
放っておくと
家族はバラバラになる
だから、意識して予定を作る:
・連休のどこかで一回、外食
・月一で家族で出かける日
・「予定」にすれば、集まれる
→ 自然に任せず
仕組みで一緒の時間を作る
③ 一人の時間も、肯定する
家族がバラバラなことを
悲観しすぎない
息子が部屋にこもるのも
妻が昼寝するのも
それぞれの休息だ
→ 俺も一人の時間を
罪悪感なく楽しめばいい
→ ギターを弾くもよし
本を読むもよし
→ 「一人」を悪者にしない
④ 家族が集まる「口実」を作る
何もないと集まらない
だから口実を作る:
・「今日は俺が飯を作る」
・「デザート買ってきた」
・「面白い映画、一緒に見ない?」
→ 集まる理由があれば
家族は集まる
→ その理由を作るのが
父親の役目かもしれない
寂しさを嘆くより、小さく行動する。中日の午後、俺はまず「アイス食べるか?」と各部屋に声をかけてみることにした。
一番きつかったのは、自分だけ取り残された気がしたことだった
この中日の午後、一番きつかったのはこういうことだ
妻は、昼寝で体を休めている
息子は、自分の世界を楽しんでいる
みんな、それぞれ
「充実した休日」を過ごしている
俺だけが
リビングで一人
「家族と過ごしたい」と思いながら
居場所を探している
→ 家族の中で
自分だけが取り残されている
気がした
これがきつかった。
考えてみれば
俺には「一人で楽しめること」が
少ないのかもしれない
妻は昼寝や友達付き合い
息子はスマホやゲーム
それぞれ、一人の時間の使い方を
知っている
俺は
家族といないと
時間の使い方が分からない
→ だから、余計に
バラバラが寂しく感じる
つまり、これも結局「自分の問題」だった。
家族がバラバラなのが寂しいんじゃなく、俺が「家族以外の居場所」を持っていないから寂しいんだ。
だから、最近始めたことがある:
・ギターを弾く
・このブログを書く
・一人カラオケに行く
→ 「一人の時間」を
充実させる練習
→ 家族に依存しすぎず
自分の世界も持つ
→ そうすれば
バラバラな中日も
悪くないと思えるかもしれない
家族と一緒にいたい気持ちは、これからも大事にする。でも同時に、一人でも楽しめる自分になっておく。
その両方があって、初めて、中日の午後を心穏やかに過ごせるんだと思う。
とりあえず今日は、アイスを持って息子の部屋をノックしてみる。返事は期待しないでおくけど。
まとめ
- 3連休の中日、家族全員が家にいるのに、それぞれ別の部屋で過ごしていた
- 息子の成長・思春期・妻の自立、家族がバラバラになったのは自然な変化
- 「健全」とも「寂しい」とも言える。家族には濃い時期と薄い時期がある
- 本当は一緒にいたいのに「押し付け」になるのが怖くて言えない父親のジレンマ
- 対策①:無理に集めず、さりげなく誘う
- 対策②:「一緒にいる時間」を予定に入れる
- 対策③:一人の時間も罪悪感なく肯定する
- 対策④:家族が集まる「口実」を作る
- 一番きついのは、家族の中で自分だけ取り残された気がしたこと
- 結局は「家族以外の居場所」を持てていない自分の問題だった
- 家族と過ごしたい気持ちも、一人で楽しむ力も、両方持っておく
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