朝の通勤路で、今年初めてのセミの声を聞いた。
ジー、ジー、という、あの音。
暑さでうんざりする季節の始まりだ。それは分かっている。でも、セミの声を聞いた瞬間、俺の胸に湧いたのは、暑さへのうんざりじゃなかった。
なぜか、焦っていた。
その朝の俺の心の中:
「ああ、もう夏か」
「今年ももう半分終わった」
「去年の夏から、俺、何か変わったか?」
「…何も変わってないな」
→ セミの声一つで
なぜここまで焦るんだ?
暑さでも、仕事の忙しさでもない。夏が来るたびに感じる、この正体不明の焦り。
毎年感じているのに、その理由をちゃんと考えたことがなかった。
この記事では、48歳の俺が「夏になると焦る」その感覚の正体と、どう付き合っていくかについて書く。同じ焦りを抱えてるオッサン共に届けばいい。
夏になると、なぜか焦る
改めて、この感覚を言葉にしてみる。
夏に感じる焦りの中身:
・時間が過ぎるのが早すぎる
・今年、まだ何もしていない
・気がつけば1年の半分が終わった
・去年の夏と、今年の夏で
自分が変わっていない
・このまま、また1年が過ぎる予感
→ 「停滞している自分」を
夏が突きつけてくる感覚
春や秋には、こんな焦りは感じない。冬もない。夏だけ、なぜかこの感覚が強い。
考えてみた:
なぜ夏だけ焦るのか
→ 夏は、1年で一番「鮮烈」な季節だから
→ 光が強く、音が濃く、記憶に残る
→ だからこそ
「去年の夏」と「今年の夏」を
比べてしまう
夏は、記憶に強く残る季節だ。だからこそ、去年との比較が起きやすい。そして、比較した結果、「何も変わっていない自分」に気づいて焦る。
若い頃の夏と、48歳の夏の決定的な違い
なぜ焦るのか、もっと深掘りするために、若い頃の夏を思い出してみた。
20代の夏:
・海に行った
・花火大会に行った
・夏フェスで朝まで騒いだ
・友達と旅行した
・夏の恋があった(ような気がする)
→ 夏はイベントの季節だった
→ 毎年、何かが起きた
→ 未来が無限に広がっていた
48歳の夏:
・通勤で汗をかく
・エアコンの効いた部屋で過ごす
・週末は疲れて寝ている
・特にイベントもない
・去年と同じ夏が、また来る
→ 夏は「ただ暑い季節」になった
→ 何も起きない
→ 未来が、少しずつ狭まっている
この落差だ。
若い頃の夏:
可能性に満ちた、特別な季節
48歳の夏:
何も変わらない、ただ暑い季節
→ この「落差」を毎年
夏が来るたびに感じる
→ だから焦る
夏そのものは、昔も今も変わらない。同じ暑さ、同じセミの声、同じ青空。
変わったのは、俺の方だった。
夏が「時間の経過」を突きつけてくる
夏の焦りには、もう一つの側面がある。
夏は、1年の折り返し地点だ。
夏=1年の真ん中
・正月に立てた目標、達成してるか?
・「今年こそ」と思ったこと、やったか?
・気がつけば、もう7月・8月
・残り半分で、何ができる?
→ 夏は、1年の「中間評価」を
強制的にやらされる季節
そして、これは1年単位の話だけじゃない。
48歳の夏は
「人生の折り返し」も
意識させてくる
・人生80年として、折り返しはとうに過ぎた
・残りの「元気な夏」はあと何回だ?
・60歳を過ぎたら、体力的に
夏を楽しめなくなるかもしれない
→ 「元気に動ける夏」の
残り回数を数えてしまう
夏の眩しさは、若さの象徴だ。だからこそ、自分が若さから遠ざかっていることを、夏が一番強く突きつけてくる。
これが、40代後半の夏の焦りの正体だと思う。
焦りの正体は「まだ何も成し遂げていない」感覚
もっと本質を掘ると、こういうことだ。
夏に焦るのは
「まだ何も成し遂げていない」
という感覚があるから
若い頃は、「これから成し遂げる」つもりだった。夏の眩しさは、その可能性の象徴だった。
48歳の今:
・出世は頭打ち
・年下の上司ができた
・大きな夢は叶っていない
・特別な実績もない
→ 夏の眩しさが
「何者にもなれなかった自分」を
照らし出す
そして、街には若者の夏があふれている。
夏の街で見る光景:
・楽しそうな大学生
・海に向かう若いカップル
・部活帰りの高校生
・夏を全力で楽しむ若者たち
→ 眩しい
→ そして
「俺にもあんな夏があった」
と思う
→ 置いていかれる感覚
若者の夏は、自分が失ったものを鮮明に映す鏡になる。だから、余計に焦る。
この夏の焦りと、どう付き合うか
じゃあ、この焦りとどう向き合えばいいのか。今年、俺なりに考えたことを書く。
① 「若い頃の夏」と比べない
20代の夏と比べたら
48歳の夏が
物足りなく感じるのは当然だ
そもそも、比べる相手が違う
若い頃の夏は
「これから」の夏
今の夏は
「これまで」を積んだ上での夏
→ 比較する必要がない
→ 違う種類の夏なんだ
② 今の自分の夏を再定義する
派手なイベントがなくても
今の自分に合った夏がある
・涼しい部屋で好きな本を読む
・夕方、少し涼しくなってから散歩する
・冷えたビールを一杯だけ味わう
・エアコンの効いた部屋でギターを弾く
→ 「静かな夏」も
悪くないと気づく
→ 若い頃の夏が「動」なら
今の夏は「静」でいい
③ 小さな「今年の夏の思い出」を作る
焦りの原因は
「去年と何も変わらない」ことだった
なら、小さくても
「今年ならでは」を1つ作る
・行ったことのない店に一人で行く
・家族で近場に一泊する
・新しい曲を1曲、弾けるようにする
・このブログの夏の記事を書く(これだ)
→ 小さな「変化」があれば
来年、思い出せる夏になる
④ 焦りを「まだやれる」の燃料にする
焦りは、悪いものじゃない
「このままでいいのか」という焦りは
「まだ何かできるはず」という
裏返しでもある
→ 焦りを、諦めじゃなく
行動の燃料にする
48歳は
まだ、何かを始められる歳だ
焦りを消そうとするんじゃなく、焦りと付き合いながら、今の自分の夏を生きる。それでいいんだと思えるようになってきた。
一番きつかったのは、夏を楽しめなくなった自分に気づいたことだった
ここまで書いてきたが、一番きつかったのは何だったか。
夏に焦ること自体じゃない
時間が過ぎることでもない
かつて、夏は
一番好きな季節だった
その夏を
「ただ暑いだけの、面倒な季節」
と思うようになった
その自分に気づいたことが
一番きつかった
子どもの頃、夏休みが待ち遠しかった。あのワクワクは、どこへ行ったんだろう。
いつから夏が
「楽しみ」から「憂鬱」に
変わったんだろう
・体力が落ちたから?
・イベントがなくなったから?
・大人になったから?
→ たぶん、全部だ
→ でも、一番の理由は
「夏に何も期待しなくなった」
からだと思う
期待しなくなったから、楽しめなくなった。当たり前の話だ。
でも、逆に言えば、もう一度夏に何かを期待すれば、また夏を楽しめるかもしれない。
今年の夏は
小さくてもいいから
何か一つ、期待してみる
・ギターで夏の曲を弾けるようになる
・家族と花火を見に行く
・涼しい夜に、ベランダで星を見る
→ 焦りを感じたら
それは「まだ夏に期待してる」証拠
48歳
夏を、もう一度好きになりたい
セミの声に焦る自分も、悪くない。まだ、夏に心が動いている証拠だから。
今年の夏は、焦りながらも、ちゃんと味わおうと思う。
まとめ
- 夏になると、なぜか焦る。その正体は「停滞している自分」を突きつけられる感覚
- 夏は1年で一番鮮烈な季節だから「去年との比較」が起きやすい
- 若い頃の夏は「可能性の季節」、48歳の夏は「ただ暑い季節」になった
- 夏は1年の折り返しであり、人生の折り返しも意識させてくる
- 焦りの本質は「まだ何も成し遂げていない」という感覚
- 対処①:若い頃の夏と比べない
- 対処②:今の自分に合った「静かな夏」を再定義する
- 対処③:小さな「今年ならでは」の思い出を作る
- 対処④:焦りを「まだやれる」の燃料にする
- 一番きついのは、一番好きだった夏を楽しめなくなった自分に気づくこと
- 焦るのは、まだ夏に心が動いている証拠
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