父の日に思うこと【48歳、84歳の父と「父である俺」の話】

父の日に父との写真を見つめる中年男性 体験談

スマホに通知が来た。

「父の日ギフト特集」「お父さんに感謝を伝えよう」「6月14日は父の日です」

毎年この時期になると、ECサイトから一斉に父の日関連の通知が届く。いつもなら何となく見て、無難なギフトを選んで終わりだった。

でも今年は、画面を眺めながら、なぜか手が止まった。

頭をよぎったこと:
・84歳の父は元気にしているか
・最近、物忘れが増えてきていた
・去年の正月に会ってから、まだ会えていない
・父の日のギフト、何にするか
 …ではなく
 「あと何回、父の日があるんだろう」

→ 急に、別のことが気になり始めた

48歳になって迎える、今年の父の日。気持ちが、いつもと違う。

この記事では、48歳の俺が父の日を前に考えたこと、84歳の父との関係、そして「父としての自分」についても含めて書く。同じ立場のオッサン共に届けばいい。


父の日が近づくと、なぜか落ち着かない

毎年6月になると、父の日関連のメールが来る。

これまでの俺の父の日ルーティン:
・前日にAmazonで何か注文
・実家に「父の日ありがとう」電話
・5分くらいの会話
・終了

→ 完全にイベント化していた
→ 「やるべきこと」を済ませる感覚

正直、父の日に深く考えたことはなかった。

母の日の方が「気合を入れる日」で、父の日は「ついでに何か送る日」になっていた。世間的にも、そういう温度感なんじゃないかと思う。

でも今年は、違う。

今年の俺:
・通知を見て手が止まった
・「何を贈るか」より先に
 「父は今、どうしているか」を考えた
・物忘れが増えていた父の姿が浮かんだ
・正月の場面が頭に蘇った

→ 「父の日」が単なるイベントじゃなくなってきた

たぶん、これは父が確実に老いてきている、その事実を受け止め始めたサインだ。


84歳の父と、48歳の俺

去年の正月、実家に帰ったときの父は、明らかに以前と違っていた。

父の最近の様子:
・同じ話を何度もする
・昨日のことを忘れる
・「あれ」「それ」が増えた
・新聞を読む時間が短くなった
・歩くペースが遅くなった

→ どれも「老い」と言われればそうなんだろう
→ でも、確実に進行している

そして、ふと計算してしまった。

父:84歳
日本男性の平均寿命:約82歳

→ もう超えている

仮にあと10年元気でいてくれたとしても
父の日は、あと10回

俺が会いに行ける回数は
年に2〜3回として30回くらい

紙に書いて計算したわけじゃない。頭の中で勝手に計算してしまっただけだ。

気づいたこと:
若い頃は父の存在は「無限」だと思っていた

48歳の俺は父の時間が「有限」だと受け入れ始めている

→ これが、父の日に手が止まった理由だった

「あと何回」と数えてしまう自分に、戸惑った。


父との距離は、いつ縮めるべきか

考えてみると、俺は父とちゃんと話してこなかった。

20代の頃:
仕事と遊びで忙しく父とは挨拶程度

30代の頃:
結婚・育児・住宅ローン
父との会話は妻経由がほとんど

40代前半:
仕事の責任が増え実家には年に2〜3回顔を出す程度

48歳の今:
父が高齢になり
ふと「話してこなかった」と気づく

父が現役で働いていた頃の話、若い頃の話、母と出会った話、俺が子どもの頃のこと。

聞こうと思えば、いつでも聞けたはずだった。でも、聞かなかった。

聞かなかった理由:
・なんとなく照れくさい
・親子で深い話はしないもの
・忙しくて時間がなかった
・「いつでも聞ける」と思っていた

→ でも気がついたら父は84歳になっていた

これは、本当にきつい気づきだった。

昔の話を聞ける時間は
無限にあるわけじゃない

父が答えられるうちに
聞いておかないと

「いつでも聞ける」は
ある日、突然「もう聞けない」に変わる

物忘れが進んでいる父から、若い頃の話を聞くなら、今しかないかもしれない。


息子としての俺、父としての俺

父の日になると、もう一つ気になることがある。

俺は今
「父の息子」でもあるが
高校生の息子の「父」でもある

→ 父の日は二重の意味を持つ
 もらう側でもあり贈る対象でもある立場

それで、ふと考える。

息子から見た「父である俺」は
どんな存在なんだろう

息子は思春期でろくに口を聞いてくれない

「面倒くさい父」くらいに思われているかもしれない

そして、俺自身
息子に「いい父親」だったか分からない

俺が父に対して感じている「もっと話しておけばよかった」を、息子も将来感じるんだろうか。

気づいたこと:
俺が父と話してこなかったのと
息子が俺と話したがらないのは
同じ構造かもしれない

→ 親子はすれ違うのが普通
→ でも、それでいいとは限らない

父の日は、自分が誰かの息子であり、誰かの父でもあることを意識する日だ。

二重の視点が押し寄せてくる。


今年の父の日にやろうと思っていること

ここまで考えて、今年の父の日にやりたいことを整理した。

① プレゼントを「贈る」だけで終わらせない

今までは
Amazonで適当に注文してそれで完了だった

今年は「届いたかどうか」を口実に電話をする
ついでに父と話す時間を作る

→ プレゼントは「会話のきっかけ」に変える

② 電話を、長めに

今までの父の日電話:
5分で終わっていた

今年は30分くらい話したい

聞きたいこと:
・最近どうしてるか
・体調はどうか
・若い頃の話
・母との出会い
・俺が子どもの頃のエピソード

→ 「聞く」時間を意識的に作る

③ 実家に顔を出す日を決める

電話だけじゃなく
実際に会いに行く

父の日のすぐ後の週末
予定を空けて実家に行く

→ 「いつか行く」じゃなく
 「いつ行く」を決める

④ 父の好きな話を「聞く」

父は昔
若い頃の話をするのが好きだった

俺はその話を「また始まった」と聞き流していた

でも今はその話こそ聞いておかないといけない

→ 物忘れが進む前にちゃんと記録するくらいの気持ちで聞く

今年は、これを実行する。


一番きつかったのは「あと何回」を意識し始めたこと

父の日を前にして、一番きつかったのは何だったか。

プレゼント選びじゃない
父の老いそのものでもない

「あと何回、父の日があるか」を
数えてしまった自分の冷静さだった

若い頃は、父の存在を当たり前だと思っていた。父が無限に元気でいてくれると、根拠もなく信じていた。

48歳になって
急に、その「無限」が「有限」に変わった

・父の物忘れ
・歩くスピードの低下
・「同じ話」の繰り返し

→ 全部が
「残り時間」を知らせるサインに見える

これは、寂しさじゃない。事実としての「時間の有限性」を受け入れる作業だ。

そして同時に、自分自身も「息子の父」として、限られた時間を生きている。

父との残り時間を意識する

それは同時に息子との残り時間も意識することになる

→ 父の日は二つの関係を見直す日だ

48歳になってようやくその意味が分かってきた

今年の父の日、Amazonでギフトを買うのは去年と同じだ。でも、その後の電話は、間違いなく長くなる。

そして、来年の父の日にも、その次の父の日にも、父と話したい。

そう思える今のうちに、ちゃんと向き合おうと思っている。


まとめ

  • 48歳になって、父の日に手が止まった
  • 「何を贈るか」より「父と何を話すか」が気になり始めた
  • 84歳の父との「残り時間」を計算してしまう自分がいた
  • 若い頃の父の話、聞くなら「今」しかないかもしれない
  • 父の日は「父の息子」「息子の父」の二重視点で考える日
  • プレゼントを贈るだけで終わらせない
  • 電話を長めに、聞く時間を意識的に作る
  • 実家に顔を出す日を「いつ行く」と決める
  • 父の昔話を、ちゃんと聞く
  • 一番きついのは「あと何回」を数えてしまう自分の冷静さ
  • 父との時間と、息子との時間、両方を見直す機会にする

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